さぎの湯温泉は、天然かけ流しの温泉です!!
有名温泉地に挟まれている為か?あまり目立たない小さい温泉地ですが、全旅館が露天風呂を持つ山陰の穴場的温泉地です。
月山の麓、飯梨川の近くにあり、田園に囲まれた静かな温泉地。 「国民保養温泉」で、ゆったりとくつろげる。 すぐ側には、近代日本美術を収蔵し、その日本庭園で有名な「足立美術館」 がある。
どじょう掬いで有名な「安来節」の発祥の地にある、唯一の温泉地。 毎分、600リットルという、膨大な量の泉源を持っている。それに比して 旅館は3軒だけ。どの旅館に泊まっても、24時間流れ続ける温泉をたっぷりと 楽しめる。
冬には、水路を流れる温泉が、湯煙をたて、近くにある「さぎの湯公園」には 余った温泉が、惜し気もなく、流れている。 効能は高く、傷や神経痛に効く。
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこばわり・うちみ・くじき ・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず・ やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病・動脈硬化症
痛風・高血圧症・慢性胆嚢炎・胆石症
急性疾患(特に熱のある場合]・活動性の結核・悪性腫瘍 重い心臓病・呼吸不全・腎不全・出血性疾忠・高度の貧皿 その他一般に病勢進行中の疾患
住所 | 島根県安来市安来町878番地2 |
---|
島根県安来市古川町字板橋454番地3
成分 | mg | mval | mval% |
---|---|---|---|
ナトリウムイオン (Na+) |
289.8 | 12.58 | 61.60 |
カリウムイオン (K+) |
8.0 | 0.20 | 1.00 |
リチウムイオン (Li+) |
0.4 | 0.05 | 0.25 |
マグネシウム (Mg2+) |
0.8 | 0.07 | 0.32 |
カルシウム (Ca2+) |
149.8 | 7.48 | 36.58 |
ストロンチウム (Sr2+) |
2.2 | 0.03 | 0.12 |
バリウムイオン (Ba2+) |
0.2 | 0.01 | 0.01 |
マン力Jンイオン (Mn2+) |
0.7 | 0.03 | 0.12 |
陽イオン計 | 451.4 | 20.44 | 100 |
成分 | |||
---|---|---|---|
フッ素イオン (F-) |
3.4 | 0.18 | 0.91 |
塩素イオン (C1-) |
388.6 | 10.82 | 55.14 |
硫酸イオン (S04 2-) |
370.6 | 7.72 | 39.32 |
炭酸水素イオン (HCO3-) |
43.3 | 0.71 | 3.61 |
炭酸イオン (CO3 2-) |
6.0 | 0.20 | 1.02 |
陰イオン計 | 806.8 | 19.62 | 100 |
成分 | mg | mmol |
---|---|---|
メタ亜ヒ酸 (HAsO2) |
0.1 | 0.01 |
メタケイ酸 (H2SiO3) |
35.0 | 0.45 |
メタホウ酸 (HBO2) |
2.4 | 0.06 |
非解離成分計 | 37.6 | 0.52 |
1.296 g/kg
成分 | ||
---|---|---|
遊離二酸化炭素 (CO2) |
0.3 | 0.01 |
溶存ガス成分計 | 0.3 | 0.01 |
1.296 g/kg
アルミニウム イオン |
0.02mg |
---|---|
鉄イオン | 0.08mg |
総ヒ素 (Asとして) |
0.09mg |
亜鉛イオン | 検出せず |
鉛イオン | 検出せず |
力ドミウム イオン |
検出せず |
銅イオン | 検出せず |
総水銀 (Hgとして) |
検出せず |
遊離硫化水素 (H2S) |
検出せず |
平成7年4月24日
含放射能-ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉 (低張性弱アルカリ性高温泉)
島根県衛生公害研究所・芦矢 亮、神門利之
鉱泉分析法指針による
平成7年5月1日
指定桁定分析機関 島根県松江市西浜佐陀582-1
島根県衛生公害研究所長 五明田 李
その興りが、どれくらい前なのか?正確な資料は残されていません。 ただ、尼子時代の地図や文献には「湯町」とあり、尼子の御殿湯として 賑わったと伝えられています。その時代には、湯場は、現在の位置とは違い 尼子の城下町で、現在の太平寺の地内にありました。
そのように歴史もあり、かつては、この中国地方を支配した、尼子の御殿湯 とまでされていたこのさぎの湯温泉が、なぜ現在まで大きな発展を遂げなかった のか??その理由は、昭和の初期まで、この地に続いた「洪水」にあります。
記録にある最初の洪水は、寛文六年(1666年)の大洪水でした。このために 旧城下町は一掃され、富田川の流れを東に移動させてしまったほどでした。 この結果、温泉も流失し廃墟となり、泉源も失ってしまったのです。
その後、元文四年(1739年)三月、広瀬藩の藩医であった岡田元杏が、古老 の話しを聞き、私財を投じて温泉の発掘をためしみたのでした。その結果、見事 に泉源を発見し湯壺を露天にすえつけて入浴していましたが、再び度重なる洪水 のために埋没してしまいました。 そして、明治43年3月 田辺六左衛門が自分のたんぼで、排水工事をしている と、湯が湧き出てきたので、温度を計ってみると40度を越すほどの温泉が湧き 出て、現在のさぎの湯温泉ができたのです。
その後もたびたび洪水があり、また砂地でもあることから、泉源が埋まったり しましたが、現在では、洪水の原因となった川の上流にはダムがふたつもでき、 河川工事もすすみ、そのような事はなくなりました。
とは言うものの、比較的浅い深度で、温泉の出るこの地は、10年に一度は、 ボーリングを繰り返さないと、砂地のため泉源が埋まってしまいました。 このため、今までの100メートル程度の深度を1キロも深く掘りさげて「永久 泉源」を作ることになりました。
平成7年4月。その願いは見事に実現し、毎分600リットル。温度も52度という 高温の温泉が湧出したのです。同年10月にこれを運用開始し、現在では24時間 つきることのない温泉が惜し気もなく流れております。
参考文献:飯梨郷土史より